自転車は、
「ココロを開放する」
ための手段だ。
誰しもが小さなころに初めて自転車に
乗ったとき、親の手助けから離れ、
自らの足で走り出す「解放感」を
味わいましたよね。
自力でペダルを漕ぐ経験は親からの
解放となり、やがて成長とともに
社会的制約や環境的制約からの解放
にもつながっています。
さらにかつて車は所有することが
ステータスだったが、今となっては
化石燃料に依存する現代社会の豊さ
の象徴ともなっており、
自転車はそんな象徴からも解放してく
れます。
「消費偏重社会からの解放」
「不健康からの解放」
とてもシンプルな構造でメンテナンス
が簡単な自転車は、整理された簡素さ
を想起させる「禅」の精神に通じるも
のがある。
自転車を移動手段にしていると、
本当に必要なものがいかに少なく、
余計なモノがいかに多いかがよく
分かってくる。
「サイクリング瞑想」
特にサイクリング時は「瞑想」を感じさ
せる。瞑想はココロを押し上げ、静寂を
もたらしてくれる。
走っているうちにいつの間にか我を忘れ
てペダルをこぎ続け、我に返った時には
はるか遠くにいることに気がつく。
自転車に乗って遠出のサイクリングをし
たことがある人なら、一度はこんな、
「ゾーン」を体験したことがあるはずだ。
ペダルを漕ぐリズムと自分が一体化する
「感覚」
車輪を回転させ前進しながら、
自然と周囲と解けるような感覚になり、
「無心」
になるのだ。
もしあなたが、
アタマが整理できない時や
モノの囲まれ過ぎて
「迷走」
しているなら一度、
「サイクリング瞑想」
することをおすすめする。
「周囲と溶け合う自転車」
自転車に乗っていると、
自分と周囲の境界線がなくなってくる
のがたびたびある。
空気、地面、風、景色、
走っていて次から次に視界に入ってくる
ものといつの間にか一体化していく気に
なっていく。
たとえば自転車に乗っていると、
慌てるようにスピードを出して車を走ら
せる都市のドライバーは何かに取りつか
れたみたいで、かなり恐ろしく感じてし
まうのは私だけではないはずだ。
いっぽうで、ゆっくり走って少し微笑み
ながら走って軽く会釈する自転車乗りに
は何故か、「仏の姿」すら感じてしまう。
「自転車から得られる解放感」
自転車はいいサイクル(回転)を生み出し、
自意識から解放されることで、
結果として周りがよく観えてくるのが実感
できる。
だからこそ他者への思いやりや、
世界のためになることを率先したくなるの
かもしれない。
「まとめ」
ぐるぐると回り続ける車輪のように
「因果応報」は果てしなく続く、
のだ。
「自転車マインドフルネス」で
解放感を感じてみてはいかがでしょうか。
0コメント